2016/06/30|Category:甲
移動要塞デストロイヤー
2016/06/29|Category:未分類
2016/06/28|Category:直


環境省の絶滅危惧種だった種。九州の山間部で局所的に見つかっているだけだったため、珍しいものと見なされていた。その後、さらなる産地が相次いで発見され、またそれぞれの産地内では必ずしも少なくないことが分かり、最新版のレッドからは降ろされた。順当な降ろされ方をした種といえる。とはいえ、九州中どこでもかしこでも探せば見つかる類のものではなく、それなりにいい環境の場所でしか見られない。初めてレッドに掲載されてから降ろされるまでに、相応の時間がかかっている。
この種の模式産地は九州のある山で、そこでは60-70年前にいくつかの個体が得られて以後、生息記録が長きにわたり途絶えていた。2000年になってから、またぽつぽつ見つかるようになり、今ではちょっと探せば結構普通に採れるような種になった。古の昆虫学者がさんざ調査に入っている場所なので、いれば発見されるだろうし、いなければ発見されないはずである。
なので、今になってこの種が簡単に見つけられるようになったのは、今になって急激に数が増えたせいとしか思えないのだが、なぜ急に増えたのかは謎。
福岡にて。
2016/06/27|Category:双

ユスリカでもハエでもなく、ブユに近いらしい。こんもりとした森林内の岸壁を、浸みだした水がうっすら覆うように流れる場所がしばしばある。こうした石清水の岸壁に、彼らはへばりついて生活している。水流が常にある場所でないと生きられない。かといって、激流では流されてしまう。強すぎず弱すぎずの水流が、年間を通じて枯れずに流れ続ける石清水の存在が、彼らにとって生存の必須条件。
指でつつくと、体をUの字に曲げて素早く岸壁表面を這い、逃げる。
これと同じ場所にいる、これに近縁な精霊がいて、俺はそいつにどうしても会わねばならないのだ。しかし困ったことに、それがどんな姿をしているのかを俺は知らないのである。原記載を見ても、バラバラにされたパーツの図しか出ていないため、全体像がまったく分からない。
環境省レッドリストに載っている昆虫の中には、主に蛾や双翅、膜翅、半翅を中心に、その種を選定したお偉方以外にそれがどんな姿をしたものか誰も知らねぇだろ、というものがものすごく多い。だから、専門の知識がない人間があの図版も用語辞典もろくに付かない赤い本を見ても、何が何だか雲を掴むような気分にしかならない。
俺は精霊図鑑を作って、それを万人が「可視化」できるようにしたいと思っている訳だが、それ故に「俺は現物がどんな姿をしているのかあらかじめ知っていなければならない」訳なので、ものすごく大変である。知ってなきゃ見つけて撮影して来られないのだから。
三河のがきはまけずがき すでに祠が乾くとも
2016/06/26|Category:甲

この2-3年間に、もうかれこれ30回近く通った「ニセたかやま」の洞。古くは同所的に3種もの固有種の地下性甲虫が住む、伝説の地だったらしい。しかし今、この洞窟は死んでいる。ここ10年位の間に行われた周辺地域の開発行為により、地下水位が下がってしまい、洞内が乾燥してしまったから。
ここの洞内の環境変化は不可逆的なものであり、しかも原因の出所が周囲一帯にあるため、もう元通りにはならない。辛うじて1種のみ生き残っているが、時間の問題かもしれない。残り2種はもう今後この洞で見つかることは期待できず、事実今世紀に入ってここで得られた記録はほぼない。というより、最近は皆無。この残りの2種の生存をどうにかして確かめたくて、ひたすら徒労を繰り返してきた。
周辺の沢を掘っても基本的に何も出ないため、洞に限らずこの地域一帯の地下環境が、総合的に悪化しているのが分かる。地形図から判断する限り、恐らく模式産地と同じ分水嶺上にある沢で、もうここで出なかったらここに通うのは辞めようと思っていた最後の沢を掘った。泥を被り、落石で指を挟みながら一時間掘った末、薄い黄色の甲虫が隙間からたった1匹出た。多分、今世紀に入って以後人類が見つけた2匹目か3匹目の個体。今までの不毛な月日は、この瞬間のためにあった。想像以上に巨大で、最初てっきり「赤い奴」の矮小個体でも出たのかと思ったほど。
この地域の地下環境は、まだ完全に死んではいないことが分かった。残りあと一人、あの黒い精霊を落とせる希望が、首の皮一枚の所で残された。冷め切った心に、再び火が灯った。
ニセたかやまは、個人的に交友のある2,3の土木作業員にだけ通じる合い言葉。つまり、上記は業務連絡。
デートア精霊 童子プリースト
2016/06/24|Category:クモ

Komatsu T (2016) Diet and predatory behavior of the Asian ant-eating spider, Asceua (formerly Doosia) japonica (Araneae: Zodariidae). SpringerPlus20165:577 DOI: 10.1186/s40064-016-2234-1
ドウシグモは、関東あたりから西にかけて広く分布するものの(沖縄にもいることになっているが、近年確実な記録がなく疑問視する向きあり)、生息地は非常に局所的。神社の屋敷林で見つかった例が多く、夏季には樹幹や石灯籠の上を歩いている様子が、冬季には樹皮下で越冬しているさまが、これまでに観察されている。しかし、それ以上の生態はまったく不明で、何を餌にしているのかなど基本的な生活史が何一つ調べられてこなかった。環境省の絶滅危惧種(情報不足カテゴリ、2015年版)に指定された以後も、その扱いは変わることがなかった。
なぜこの希少生物のことを、本職のクモ専門家ですら今まで調べたがらなかったのか。それは、数が少なすぎるのと見つけ方が分からないことの2つに尽きる。これまで知られている本種の採集記録の多くは、何か他の生き物を探しているときに偶然見つかったというものがほとんど。偶然の発見なので、当然一度に得られる個体数も少ないし、得られる生態情報も断片的だ。研究に使うに足るほどの数を集めることが不可能だったため、研究のしようがなかったのである。
それ以前に、いくら絶滅危惧種といえど所詮キモい小グモだし、結局専門家の目から見ても学術的にあまり価値のあるものと認識されていなかったのも大きい。もし本当に価値があると思われていたなら、希少性など問題にせずとっくの昔に誰かが草の根分けてでもこの生物の生態を解明しているはずだから。
2014年に九州へ高飛びした俺は、市街地に程近いとある裏山を根城として毎晩通い、そこにいる動物を観察して回っていた。ある日の夜、その裏山の一角に立つ一本の木に、たまたま1匹のドウシグモが何かを口にくわえて止まっているのを見つけた。よく見ると、それはアリだった。そのクモはハヤシケアリを吸収していた。この時、あまり深く考えずにスルーしたのだが、翌日・そのまた翌日と連日この裏山へ通うたび、林内のあちこちで樹幹に止まってアリを吸収しているこのクモをやたら見かけた。



そこで、恐らくこいつはアリを専門に食っているのではないか、そしてもしそうならば、アリを効率よく倒す独特の行動戦略を持つに違いないとの期待を胸に、シーズン中は毎晩裏山でこのクモの捕食個体を探した。そして、食べているものが何か、それをどうやって捕らえるのかを逐一観察し続けた。
足掛け2年かかって、トータル75例の捕食個体をこの裏山で見つけた。その全てが、小型樹上性アリだけを食っていたのだ。日中食っている個体もそれなりに見たが、やはり圧倒的に日没後のほうが多くの捕食個体を見つけられた。別の産地ではどうかと思い、数年前にたまたま見つけた静岡のとある屋敷林でも観察した。貧弱な産地でたった2例しか見つからなかったが、やはりここでも夕刻近くにアリを食っていた。これらのうちいくつかの例に関しては、アリを実際捕まえる瞬間に立ち会った。













解放されたアリは、酔っ払ったようにふらつきつつ逃げようとしたり威嚇体勢をとるが、じきに倒れる。その間、少し離れた場所で脚を縮めてじっと待機していたクモは、脚を上下にへこへこ動かし始め、おもむろに歩き出す。ジグザグに歩きつつ、傍で事切れているはずのアリを手探りで探し出し、回収する。アリを咥えあげたクモは、付近の隠れ家にそれを引きずり込んでからゆっくり吸収する。
ホウシグモ科の毒に対する感受性が、アリ分類群により異なることは、既に海外産種を使った研究で示唆されていた。しかし、ドウシグモがアリを捕まえた瞬間、どうやってその分類群の違いを認識して戦法を変えられるのか、よく分からない。少なくとも、視覚でアリの分類群を見分けている訳ではない。このクモは明らかに視力が発達していないから(待ち伏せの際、いくら至近に獲物がいても物理的に触れられない限り獲物の存在を認識しない、倒れた獲物の回収時まっすぐ獲物に向かわず、手探りでジグザグ歩きする等)。
一番可能性が高いのは、アリの体表面を覆う化学物質の組成の違いを認識していること辺りだろうか。今後の課題である。ちなみに、待ち伏せ中のクモにダニやトビムシなどアリ以外の生物が触れると、クモは一瞬身を乗り出して捕らえようとするが、抱え込まずすぐ引き下がる。アリとそうでない生物とを、ちゃんと識別できている。
ドウシグモは従来、生態の不明さにより非常に発見困難なクモであった。しかし、それが樹幹のアリしか食わないことが分かってしまった今、もはや見つけるのは電線のスズメを見つけるよりも容易い。アミメアリやケアリ属など、行列を作る3-4mmサイズのアリが行列を作っており、なおかつマメヅタなどが絡む凹凸の激しい樹幹を探せばいいのだ。探す高さは関係なく、地面すれすれにいるときもあれば地上1m位の所にいるときもある。
こうした場所で、アリの行列付近の樹皮にアリの死骸が引っかかっていたら、ドウシグモがすぐ近くにいる。彼らは樹皮の裂け目やマメヅタ葉裏でアリを吸収し終えると、無造作にそれを放置して去るか、真下に蹴落とす。だから、その死体の傍や、直上の隠れ家になりそうな場所をチェックすれば、簡単に足がつく。
実は、同じくアリを専食するミジングモ類も似たような死骸を樹幹に残すため、慣れないと区別しにくいかもしれない。だが、ミジングモと違ってドウシグモはアリ捕獲の際、決して糸を使わない。だから、ドウシグモに食われたアリの死骸には、絶対に糸が絡んでいない。「ただ無造作に、なんとなく引っかかっているアリの死骸」を探すのがポイント。

同じ場所でよく見るカニミジングモ。捕らえたウメマツオオアリを糸で縛っている。吸収し終えると、縛ったまま樹幹に放置して去る。
この死骸の多少により、その地域で潜在的にどれ程の個体数のドウシグモがいるかを、何となく推測できる。九州の裏山は、目視でも明らかに多産することが分かる場所で、当然ながら樹幹の食痕数もかなり多い。反面、静岡の産地ではクモ自体の姿もほとんど見かけず、食痕もわずかだった。この場所は、住宅街に四方を囲まれた猫の額ほどの小さな神社である。そもそも個体数が少ないから、食痕も少ないのだ。東京都西部の城跡でも稀にこのクモから見つかるため、初夏の夜に一度探しに行ったが、ここではクモどころか食痕すら一つも見なかった。恐らくそこはこのクモの分布の東限に当たる貧弱な産地ゆえ、相当少ないのだろう。
このクモに関して今回判明したのは、あくまでも餌メニューと捕食行動であり、繁殖行動などほかの事は依然として不明なまま。今後、偶然それを観察する幸運に恵まれたら調べるであろうが、俺はこの後このクモに関して特別に労を割いて何か調べることはないと思う。それは本職のクモ研究者がすべき仕事だし、あくまでもこちらの関心事は精霊を「それを見たい人間が、いつでも見たい時に見に行ける存在にまで落とす」ことのみである。
これまでクモの専門家でさえ、誰一人このクモの詳細な生態を調べてこなかったと上で述べた。しかし、実はかつて(入手できる文献で判断できる限り)この国でたった一人だけ、このクモに並々ならぬ執着を持った専門家がいた。故・深澤治男氏その人である。
そもそもドウシグモは佐賀県で外国のクモ学者が発見したもので、後に関東および近畿で生息が確認された。このうち、関東における最初の発見者こそ深澤氏であった。彼が見つけたのは東京の芝公園で、当時今以上に生態も何も分かっていなかったこの珍しいクモを、出かけるたびに採集したという。彼はこのクモに対して"「住居性、食性、繁殖性に就て、深くしらべてみたい」と大分執心中であったが、遺憾にも、書いたものは何も残されなかつた様子である"と、文献に記されている(岸田 1940)。
深澤氏のことは、実のところ何も知らない。一世代違う時空を生きた人なので、もちろんお会いしたこともない。しかし、貴方がこの世に残そうとした知見のほんの一部分でも、世に送り出すことはできたでしょうか。
ケカゲロウ、フタホシキコケガに続き、また一つ人類の未来にクソ程も役立たない小虫の生態が判明した。
役には立たないかも知れないが、しかし本当に面白い虫だとは思わないだろうか。たかだか4mmぽっちの身体で、獲物からの反撃を巧みに避けて仕留める技術を持っていた。テレビの自然番組で見飽きたライオンや猿にも劣らぬ、めくるめく世界が、我々の家のすぐ側に展開されていた。
環境省の絶滅危惧種のうち、生態不明な情報不足のもの達は、きっと皆こんな不思議と謎を「隣界」に隠している。それを明らかにせぬままこの国からむざむざ消してしまうのは、あまりに惜しい。
岸田久吉(1940)ドウシグモとウチワグモに就て Acta Arachnol5: 138-145
しげる
2016/06/24|Category:脊椎動物
akgnosms
2016/06/23|Category:未分類

北海道と本州の東側に分布し、前者では騒ぐほど珍しくないようだが、後者では見られる場所が相当限られる。
広大な芦原の広がる、ぐじゃぐじゃにぬかるむ湿原に限って生息する。足場が悪く、背丈の高い草が密生する環境で地べたにいる虫を探すのは極めて困難で、活動期のこれを採集しようと試みる者はほとんどいない。
専ら、冬期に朽木内で越冬している個体を掘り出す方法が採用される。しかし、それ故に有名産地では越冬に適した湿原内の倒木が軒並み破壊され尽くすため、出遅れるとわざわざ出かけても一つもこれを見つけられないことが多い。
誰も知らないマイナーな産地で、発見を試みた。環境をなるだけ荒らしたくないので、朽木を壊さず直接目視で活動個体を探してやろうと思い、まだ芦が伸び切らない早春の夜中に湿原を彷徨い歩いた。地面に多くのクロコガネが這い回っている中、ただ一匹だけ様子の違うのが混ざっていた。
2016/06/22|Category:甲
発売中「虫のすみか」
2016/06/21|Category:未分類
2016/06/21|Category:双

オドリバエ一種。長野にて。
婚姻贈呈の最中。雑木林の入口で、大規模な群飛が見られた。大きなガガンボやカゲロウを捕らえてメスに渡すオスが多く見られたため、これは比較的ジェネラリストの気がある種らしい。一方で、オドリバエの中にはクモしか捕らないとか、別種のあるオドリバエしか捕らないなど、獲物に対しある程度特異性を示す種もいる。
オドリバエは種により、交尾の最中必ずモノに止まる種と、延々飛び続ける種とがおり、後者の撮影はとにかく至難。
メスの脚を見ると、オスにはないすさまじい剛毛が生えている。飛行中、この毛だらけの脚をピッタリ腹部脇に付けて飛ぶため、遠目にはとても腹が巨大に見える。種によっては、メスの腹部に風船状の袋が付いており、飛ぶときだけそれを広げるというものもいる。こうしたメスのオドリバエだけに見られる珍奇な形態に関しては、特にここには書かないが非常に面白い仮説が提唱されている。
そのことと関連するのかもしれないが、オドリバエの交尾においては、どうやらオスに主導権があるように思える。数分間見ていると、いずれ交尾の体勢が解かれて雌雄が乖離するのだが、その時明らかにオスはメスに一度渡したはずのプレゼントをもう一度奪い取ってから逃げる。
この手のオドリバエのメスは、肉は食べるのだが自分で肉を狩る能力が一切無いため、オスからプレゼントとして受け取らない限りは肉にありつけない。肉にありつけなければ当然産卵に必要なタンパクも得られない事になる。一方、オスは狩りの能力はあるものの、それには大変なコストがかかる。獲物を探すのも大変だし、獲物から反撃されて殺されるリスクも負っている。オスは複数のメスと何度も交尾せねばならないため、その度にいちいち狩りをして新しく獲物を捕まえてくるのでは身が持たない。だから、一つの獲物を可能な限り使い回す。婚約指輪の使い回しみたいなものだ。
2016/06/20|Category:毛
2016/06/19|Category:脊椎動物

例の解除音で、存在に気づいた。アカガエル系を中心とするいくつかの種のカエルは、ヘビに捕まった際に普通では出さない声を出す。人間が普通に素手で掴んだのでは、決してその声は出さない。いったいなぜヘビ相手限定でそんな声を出す必要があるのか。
しかも、その声を出したからとてヘビが見逃してくれる訳でもなければ、周囲の他のカエルらが危険を察知して一目散に逃げるでもない。明確な意義らしい意義を見出せない発声。あれは純粋な恐怖からくる悲鳴以上の意味をなさないものだ、と思っている。
蛇に見込まれた蛙は絶対に助けてはならぬと、今は亡き祖母にきつく言われていたゆえ。
サンシャイン
2016/06/18|Category:未分類

先月帰郷した際、俺にとってあまりに所縁の深い某漁村が、某アニメ(化はまだらしいが)の舞台になるらしい事を知った。よりによって、ピンポイントであそこを聖地にするんか…いずれ、巡礼者が各地から押し寄せるんだろうか。
昔から思い入れの強いあの場所が舞台ともなれば、それなりに応援せねばなるまいが、それよりも不安要素の方が今のところ強い。あの漁村界隈は、かねてより他県から押しかけるモラル皆無な釣り人の悪行三昧(漁港の立入禁止区域に侵入、ゴミ散らかし、稚魚乱獲その他)により、余所者の振る舞いにかなり神経質になっているから。
あのアニメが今後どれだけ流行るかは分からぬが、くれぐれも巡礼者には、地域住民の感情を逆撫でる妙な言動だけは慎んでもらいたいものだ。
ある時期になると内地から離島に押しかけ、林道にレンタカーを鈴なりに横付けし、大量のクワガタやらカミキリやらを捕まえてその「戦績」をブログやらツイッタに晒した挙句、島外に持ち去る虫マニアらを見る地域住民の気分というのは、こういう感じなんだろうか。ふと思った。
2016/06/17|Category:クモ
kbnkbngmzgwgmms
2016/06/16|Category:未分類

環境省の絶滅危惧種。とてつもなく特殊な環境で、とてつもなく特殊なものを利用して生活する。
去年からさんざ探しまくってて、ようやく先ごろ出会えた。これに会える日は厳密に決まっており、それは神が定めた絶対的なものである。それ以外の日にいる場所に行っても、一つもこれを見ることが叶わない。こちらの都合など関係ないため、こちらが向こうの都合に合わせねばならない。別にこれに限らず、野生のものは全部そうかも知れぬが。
これに会うため、去年は房総、伊勢、遠州、九州南部に出向いて探しまくったが、ことごとくヌル。特に伊勢では、これと同様な環境にいて、1mmしかない動く砂粒をどうしても見たくて二度も出向いたのだが、箸にも棒にもかからなかった。本当にあれは実在するのか?
2016/06/15|Category:クモ
美雲さん専用ドローン
2016/06/14|Category:半
2016/06/12|Category:半

成虫は黒くて丸っこいただのカメムシだが、幼虫は異質な雰囲気を全身から放っている。紙のように扁平で、樹皮の隙間などに入り込んで身を隠している。肉食で、他の虫の卵など比較的無抵抗な生命体からエナジーを奪うのが生業。
典型的な里山昆虫で、ある程度人間が荒らした環境でしか見かけない。都市部の公園などにしばしばまとまって生息するが、あまりにも小さすぎて気づく人間などそういない。
近年、全国的に減ってきているらしい。
本来なら魔境からとっくに帰っているはずなのだが、まだ帰り道の半分も来ていない。最後の最後で、俺の生命に関わるどえらい大事件が発生し、凄惨かつ惨憺たる状況に追い込まれたのだ。
詳細はここには書かないが、アフリカの大地を司る全ての精霊、睡魔族の類に愛されてしまい、俺一人だけ世紀末犯罪都市に取り残され帰れなくなってしまったのだ。
比喩表現でも何でもなく、本当に路頭に迷って死にかけた。頼れる仲間達の尽力あって、文字通り首の皮一枚の所で奇跡的に窮地を脱する事ができた。
「安かろう悪かろう」という言葉の意味を、これほどまで噛み締めたのは、人生後にも先にも今回限り。
まあ、本当の地獄はこれから先なのだが。