tsunomaゆbuゆha buゆdearu
2015/03/06|Category:双

よほどの研究上の理由もなしに、今日び下甑でブユを探す人間などいないと思うが、今回の遠征で密かに楽しみにしていたもの。ただし、こちらの戦績はまるで奮わなかった。
海沿いにある水田地帯を横切る用水路には、中州のように土砂が溜まっており、雑草が茂る。その雑草が水に浸かっているところを探しだし、草を引き上げてみると、凄い数のブユの幼虫がたかっている。所々に、蛹になったものも見られる。

細いフィラメントは、呼吸のための器官。これの長さ、分岐の仕方はブユの分類・同定においてきわめて重要な特徴となる。割と根元近くで4本分岐し、それぞれのフィラメントがほぼ同長なのが本種の特徴らしい。

下甑には、かつてサツマツノマユブユS. satsumenseという精霊がいた。地球上で、この島内にある手打という集落でしか見つかっていない固有種。ここの水田地帯を流れる湧き水由来の、ある一本の用水路だけに生息していたらしい。しかし、近代に行われた水路の大規模な改良事業以後、生息していた水系が壊滅して姿を消し、以後誰も見ていない。ブユなのに環境省の絶滅危惧種ⅠB類(2012年版)という、極めて絶滅の危険が高い種として見なされている。
今回、この精霊をどうにか見つけ出したいと思い、かつての産地だったその水田地帯をかけずり回り、時間の許す限り片っ端から用水路に水没した雑草を掴み上げて調べた。もちろん、一匹も発見できなかった。ウチダ以外のブユの生息する証拠が、欠片ほども見出せなかった。
正直、水路自体は島中あちこちに走っているのに、飛んで移動できるブユが湧水一水系にしかいないというのが理解しがたい。現にウチダはうじゃうじゃいるのに、精霊だけがいなくなるはずがない。しかし、こういう衛生害虫系の虫というのは、専門の研究者が相当入念かつ執拗に調べているものであり、その上で発見できていないというのだから本当に存在しないのだと思う(実際いなかったし)。ツノマユブユの仲間は通年発生しており、この時期にしか見つからないという類のものではない。いれば必ず蛹の殻なり何なりがどこかにある。それさえもなかった。
絶滅したといわれるコゾノメクラチビゴミムシは、探す人口がほぼ皆無だし、目に見えない場所にいるものなので、ちゃんと手はずを踏んで探せば余裕で再発見できる気がする。でもこの精霊だけは、今後別の時期に訪れたとしても再発見できる気が全然しない。今の生息地に人為の影響が強すぎること、既に徹底的な生息調査がなされた上で存在しない事実を突きつけられていること、さらに自分自身の目で産地の現状を見てしまったことが、こちらの戦意を尽く剥いでいった。残念ながら、高岡(2002)の言うように、サツマツノマユブユはもうこの世から消えている。次のレッドリストの改訂では、きっと絶滅種になる。そして、そんなものが存在したことも絶滅したことも、今後多くの人間は知らないし気にしないままだ。
環境省のレッドリストにはもう一種、ヨナクニウォレスブユ(ヨナクニムナケブユ)S. yonakuniensisというのが載っている。サツマツノマユと同じ絶滅危惧種ⅠB類で、日本では与那国島のある山沢の、ただ一つの湧水源周辺にしかいない(国外では台湾のある一か所)。しかもその沢は、湧水源から10m下流にダムが作られてしまい、結果その10mの流域だけが国内唯一の生息地になってしまった(ブユの幼虫は流水中でしか生存できず、ダムのような止水がいくらあっても住めない)。この種は国内で似た種が他におらず、生物地理学的にかなり貴重な種であるが、当然、そんなこと言った所でたかがブユなので保護もされない。
与那国島も現在環境の悪化が進行しつつあり、いずれ自衛隊基地が作られるという話もある。大きなヨナグニサンやマルバネクワガタは、それでも法律や条令でどうにか保護しようという動きがある。しかし、ヨナクニウォレスブユの事が話題になった試しはないし、今後もならないので、この虫も遠からぬ未来にサツマツノマユの後を追うだろう。
だから、せめてこいつだけは、滅ぶ前に生きた姿を写真に残しておきたいと常々思っている。国の絶滅危惧種なのに、いまだ生態写真すら存在しないのである。仮にこの先この虫が滅んだとして、体をバラバラに分解したパーツのみ描かれた記載文以外にこの虫の生時の姿をしのぶ術がないのは、あまりにも悲しい。
高岡宏行 (2002) 南西諸島におけるブユの分類, 分布および生態 : ブユの採集, 標本作製, 形態観察, 同定ガイド。衞生動物 53(Supplement2), 55-80