双想ノ唄ネオトロピクス・永遠のチェリオ

新熱帯にすむグンタイアリは大きく5グループいて、グンタイアリ属、ヒメグンタイアリ属、マルセグンタイアリ属、ショウヨウアリ属まで出した。残る一人はだれか。それは、ヒトフシグンタイアリ属Cheliomyrmexだ。以下チェリオと略。



チェリオは、幻のグンタイアリと呼ばれている。理由はただ一つ、見つからないからだ。このアリはグンタイアリの仲間では最も地下性の傾向が強く、滅多に地表に出てこない。オスの翅アリは時々灯火に飛来するらしいので、恐らく実際にはけっこう普通にいるのかもしれない。しかし仮にそうだとして、生物の世界において普通にいることと見つけやすいことは、等価ではない。とにかく人間の目に触れる場所に姿を頑なに見せないこの生物の隠遁性は、彼らに関わるあらゆる研究調査を阻む要因として横たわり続けている。

ネットの画像検索でCheliomyrmexを調べても、Antwebなどのアリ分類サイトなどにあるいくつか標本写真がでてくるだけで、野外でこの生物の生きた姿を納めた写真が全然出てこない。他4属のグンタイアリの生きた写真はそれなりに出てくるのをみると、いかに世の中の人間がこの生物に出会ったことがないかがうかがい知れる。きっとどんな高名な世界中のアリ学者とて、こいつに遭遇する幸運に恵まれた奴なぞ地球上に10人もいるまい(と信じている)。美しいアリの生態写真を撮ることで知られている写真家兼研究者のAlex wildですら、南米でさんざん探してついに見つけられなかったと、彼のブログに記している。

数年前、某テレビ局の自然番組で南米のグンタイアリに関する特集を組むことになり、そのアドバイザーとしてエクアドルに出かける機会を得た。これが初めての南米遠征となる。この頃、大学研究室で居場所のない俺は、昼休みに部屋のすみっこでヘルドブラー・ウィルソンの名著「The Ants」を読むのが習慣だった。もう20年くらい前の本だが、枕のように分厚いこの本には、生態・遺伝・好蟻性生物に至るまで当時のアリに関する文字通りありとあらゆる事が書いてある。その中でも、グンタイアリに関する章の中にあるチェリオの記述は、俺にとって何度読み返しても読み足りない部分だった。

チェリオは南米にいる他のどのグンタイアリと異なり、腹柄節が一つしかない(腹と胸の継ぎ目の節。チェリオ以外はみな二節ある。ヒトフシグンタイの和名の由来)。これはむしろアフリカのサスライアリ属に近い特徴で、系統進化的にとても興味があるが、あまりに珍しすぎて研究が全然進んでいない、という趣旨の説明。その脇に、まるで農作業用フォークのような凶悪なギジャギジャの並んだ鋭いキバと、目があるのかないのか分からないような凶悪な風貌のアリの絵が描いてある。俺は、昼食のカ○リーメ○トを囓りつつこれの生きた姿をどうしても見たいと思いながら、いつもため息ばかりついてこの絵を眺めていた(これが恋患いか)。その研究に血筋をあげているような連中さえ滅多に見られないようなものを、初めて南米に行く素人ごときが見つけられるはずもないからだ。
ちなみに当たり前のことだが、アリそのものが幻なのでこれにどんな好蟻性生物が付くのか、いやそもそもそんなものがこのアリに付くのかどうかさえ、人類史上誰も調べたわけがない。

番組取材の主要目的は、立派なバーチェルグンタイアリだった。エクアドル入りしてからは、すぐさま首都キトから車で片道丸一日かかるアマゾンの奥地へ行き、ひたすらジャングルを歩いて目的のグンタイアリの行列を探し求めた。それからだいたい2週間程度たった頃だろうか。

その日も、いつもの様に林内に通した車用の砂利道をとぼとぼ俯きながら歩いては、行列を求めていた。その時、俺は前方に何か赤い帯状のものが横たわっているのに気付いた。幅10センチ程のそれは、道の端から端までに及ぶ長大なもので、まるで血流のようだった。最初何かが轢かれた跡かとさえ思った。近くに寄って、戦慄した。
アリだ。赤く見えたものは全部おぞましい数のアリの群れだった。

アリ・Cheliomyrmex-sp.1、
遠景。数枚撮ったが後でみたら全部ブレブレのボケボケだった。発見時、興奮のあまり過呼吸を起こす寸前でアル中のごとく全身が痙攣していたからだ。

アリ・Cheliomyrmex-sp.1、1
アリを見て愕然とした。一見、割と普通種なマルセグンタイアリの地下性傾向の強いある種に似ていたが、行列の規模があまりに違いすぎたからだ。アリはどれもが凶悪な刃のついた鋭いキバを持ち、目はあるのかないのか分からない。そして、腹柄節はひとつ。紛れもないチェリオだった。チェリオが引っ越しをしていたのだった。恐らく地下を進んでいたその最中に、偶然この砂利道にさしかかったのだろう。砂利道は堅く踏みしめられていたため地中を掘り進めず、やむなく特例で地表を進むことにしたのだ。それが証拠に、この砂利道からはずれるともう行列の所在は辿りようがなかった。なんという天文学的な偶然に出くわしたのだと思った。

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アリ・Cheliomyrmex-sp.1、6

アリだけを見てすっかり有頂天になったが、他に探すものがある。好蟻性生物だ。遭遇すら困難な特殊なグンタイアリのこと、こいつらから好蟻性生物を発見すればすなわち新種に決まっている。行列脇に座って観察した。

コウチュウ・ハネカクシ一種1

コウチュウ・ハネカクシ一種1
ムクゲキノコ。体長3ミリ程度のやつと1ミリちょっとのかなり小型のやつが歩いてきた。かなり個体数は多い。

コウチュウ・ハネカクシ一種
謎のハネカクシ。たった一匹だけ、ものすごいスピードで走ってきた。ろくな写真が撮れず、ピンボケ写真1枚だけが残った。他に、行列上をなぞるように飛ぶノミバエも多かった。予想できたことだったが、やはり幻のグンタイアリにも居候はいた。いや、きっとこのアリが本当は幻でないからこそ、このアリに依存した居候が存在するのだろう。しかし、奇跡はこれに留まらなかった。

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アリ・Cheliomyrmex-sp.1、2
行列中を歩いてきた巨大な生物。このグンタイアリの脱翅したオスだ。グンタイアリはオスだけ翅をもち、夕刻に空を飛び回って同種他コロニーの行列に飛び込み、そこへ受け入れられる。そのコロニーで新女王が誕生したらそれと交尾するのだ。しかし、野外でその出待ち状態のオスが見つかることは極めて希だ。幻のグンタイアリともなれば史上初だろう。残念ながら女王はもう通り過ぎた後だったらしく、待てどもこなかった。このアリの女王は発見されていないので、見つければ快挙だったのだが、柳の下にそう何匹もドジョウはいない。

これだけ奇跡の発見をしたわけだが、現在この時に見つけたこれら新種の証拠標本は存在しない。
現地滞在中に採集許可が下りなかったせいで、せっかく新種を目の前で発見しても捕まえることを許されなかったからだ。なので、上に示した写真は、全て存在実態のない幽霊の写真。名実ともに心霊写真だ。

昨年名古屋で行われたCOP10でも議題になり、ニュースで報道されたが、近年熱帯諸国では外国人研究者に対し、野生生物の研究に関して厳しい制約を課すようになってきた。それは自然保護、動物愛護とともに、遺伝子資源の流出や搾取を防ぐという理由があってのこと。いまやどんな他愛もない小虫やカビに至るまで、その国の財産と見なされていて、勝手に持ち出せなくなっている。中南米では、植民地時代の搾取などの影響もあるのか、特に厳しい。エクアドルは、その厳しさでは上位に食い込む国の一つだろう(一番厳しいのはブラジルで、周囲の研究者は口をそろえて「あの国で外国人研究者はムシの研究なんてできない」という。地域によっては採集どころか撮影のため虫を追いかけることすら禁止しているらしい)。今回のペルーは、比較的許可は取りやすい国だった。

恐らく現地に在住したり、現地の研究者と共同でやれば状況はまた違うのだろう。しかし、これら一連の許可申請の煩雑さ・そもそも許可の下りなさが手伝い、日本人で南米の虫を新種記載した人は殆ど存在しないのではなかろうか。甲虫分類の雑誌Elytraには、毎号沢山の熱帯産甲虫の記載論文が載るけど、それらはみんな採集・国外持ち出しの手続きが楽な東南アジアのいくつかの国のものばかりだ。他分類群の生物の研究でも、状況は大同小異だろう。
しかし、これだけ厳しい条件を外国人に課す他方で、現地の人々は平気で生活のために熱帯雨林を伐採し、焼き払っているのが現実だ。今回行ったペルーでも、野放図かつ無計画な伐採により毎日数十本のペースで大木が切られて重機で運ばれていくのを見た。遺伝子資源の確保とはいうけれど、いまの状況が今後まかり通っていけば、必ずみんなが不幸な結末を迎えるような気がする。生物も、現地の人も、外国人も全て。熱帯雨林は生物多様性の宝庫だと、マスコミは日常的に言う。しかし、その生物多様性の概要は未だその全体のうちの何割も解明されていない。その解明を一番阻んでいるのが、他ならぬ現地の国という皮肉な状況だ。

あのエクアドルの調査で俺が見た幽霊を実体化させるためには、標本を得て場合により新種記載がなされねばなるまい。そのためには、まず天文学的に取るのが難しい現地の国の生物採集・持ち出し許可を取り、その上で天文学的に出会うのが難しいあのアリに偶然遭遇し、さらに天文学的に出会うのが難しいあの居候の虫たちを採集する必要がある。こんな奇跡に、次に人類が巡り会えるのは果たして何十年、いや何百年先だろうか。そして、そのころまでアマゾンの森はいまの状態で残っているのだろうか。

きっと俺はこの時運を使いすぎたせいで、ここ数年あまりいいことがないのかも知れない。

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